2Apr
依存のプロセスに脳の報酬系が関わっているのだとしたら、
そもそも報酬系というのはなんのために存在しているのでしょうか。
原始時代はうまくいっていた
自然の中で生活していた時代、例えば原始時代では、この報酬系のシステムは、生存に利益をもたらしてくれていました。
例えば、食物を食べて、β-エンドルフィンによって「美味しい」という幸福感がもたらされ、そして、次に空腹を感じたとき、「これからまた食べたいぞ」とドーパミンによってやる気を感じさせられます。
このような仕組みによって、「命を維持するために食べないといけない」と意識することなく、自然と湧き上がってくる欲求にただ従うだけで、生命を維持することができていました。
脳の報酬系というシステムは、人間が特に意識することなく生存と繁栄のための行動をとれるようにする、画期的なものだったといえます。
現代の刺激には対応しきれない
ところが現代では、人が「ハマる」刺激に対して、脳の報酬系はわたしたちの生活に利益をもたらすどころか、困った事態をもたらします。
「ハマる」刺激に対して、報酬系のもたらす多幸感は、自然物を相手にするときとは全くの別物といってもよいほどです。
その多幸感は、非常に強烈で、しかし数秒以下しか続かないのです。そして、「またやりたい」と掻き立てられる欲求も強いものになります。
従って、「なかなかやめられない」と、依存のプロセスが始まることになります。
興味深いともいえ、困ったことともいえるのが、現代特有のストレスや不快感に対して、人工的な食べ物やゲームのもたらす快感は、相性が良いということです。
一時的には気分を良くすることができます。しかし、それを何度も繰り返すことは、長期的にはその人にとって不利益の方が大きいといえます。
健康の問題ももちろんありますが、その人にとって一番必要なことができていない状態がずっと続くことになるからです。
その瞬間その人が本当に求めているものは、外部からもたらされる快感ではない、ということは、何よりも本人が分かっていることだと思います。
依存は、本人の意思とは関係なく、脳の問題という見方が大切です。